興禅寺
興禅寺は、宇都宮氏8代目当主である宇都宮貞綱が、かつて黒羽雲巌寺で第五世住職をしていた真空妙応禅師のために、1314(正和3)年、地蔵堂があったこの地に寺院を建立して興禅寺としたのが始まりです。
室町時代には宇都宮氏の興隆とともに隆盛を誇りましたが、1549(天文18)年、喜連川五月女坂の戦いにおいて第20代当主宇都宮尚綱が敗死すると、これに乗じた壬生勢が宇都宮城下に乱入して占拠、この折の戦火で焼失しました。第21代当主宇都宮広綱によって復興するものの、第22代当主宇都宮国綱が豊臣秀吉によって領地を剥奪されたのに伴い、当寺も一時廃寺となりました。
江戸時代に入って奥平家昌が宇都宮城主となるとその勧請を受けて復興され、家昌・忠昌の奥平家父子2代が菩提寺としています。なお、江戸時代の仇討ちの一つで知られる浄瑠璃坂の仇討は、忠昌の子である昌能の在藩中における当寺での刃傷事件(宇都宮興禅寺刃傷事件)が発端となっています。
基本情報
- 住所
- 〒321-0966
栃木県宇都宮市今泉3丁目5-13 - 電話番号
- 286210507
- 関連サイト
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