宇都宮市内の奥州街道をウォーキング! 宇都宮宿~白澤宿日帰りコース
宇都宮宿から白澤宿まで二里二十八町(11.1km)を歩きます。
宇都宮宿は日光街道および奥州街道の17番目の宿駅です。宇都宮城の城下町にあり、両街道の追分であったほか、国内各地を結ぶ主要道路が通る交通の要衝で、日光街道で最も賑わった宿場町といわれています。1843(天保14)年の「日光道中宿村大概帳」によると、宇都宮宿には、本陣2軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が42軒ありました。宿内の家数は1,219軒、人口は6,457人でした。
白澤宿は、奥州街道の18番目の宿駅(宿場町)です。1843(天保14)年の「奥州道中宿村大概帳」によれば、白澤宿は家数71軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠13軒、人口369人でした。
■ 奥州街道「御宿場印」「御宿場印帳」の販売についてはこちら
- 所要時間
- 日帰り
- 交通手段
- 徒歩
このコースで訪れるスポット
- 奥州道中追分
- #169
- 宇都宮二荒山神社
- #171
- 宇都宮城址公園
- #173
- 琴平神社
- #175
- おしどり塚
- #177
- およりの鐘(宝蔵寺)
- #179
- 鉄塔婆(清巌寺)
- #181
- 旧篠原家住宅
- #183
- 興禅寺
- #185
- 今泉八坂神社
- #187
- 首切り地蔵
- #189
- 馬頭観音
- #191
- 稚児坂
- #193
- 白澤宿標識
- #197
- 勝善神
- #199
- 白澤地蔵堂
- #201
- やげん坂
- #203
- 大エノキと江戸時代の公衆便所跡
- #205
- 住吉屋跡
- #207
- 白髭神社
- #210
- 宇加地本陣跡
- #212
- 明星院
- #214
- 薬師堂
- #216
- 井上清吉商店
- #218
- 經力稲荷大明神
- #220
- 白澤宿標識
- #222
- 白澤の一里塚跡・白沢河原バス停
- #224
奥州道中追分
江戸からの街道は、ここで日光街道と奥州街道に分かれました。北へ向かう清住町通りが日光街道、東へ向かう大通りが奥州街道に当たり、多くの人馬で賑わった場所でした。
宇都宮二荒山神社
宇都宮駅からメインストリートの大通りを歩いていくと見えてくる大鳥居。宇都宮の中央に鎮座する二荒山神社です。長く人々の信仰を集めてきた歴史あるパワースポットで、源頼朝や徳川家康も戦勝祈願したといわれています。起源は約1600年前、「下野一の宮」と呼ばれていたため、その名が宇都宮の名称の由来という説もあります。
境内はイチョウや桜、もみじなどが茂り、街の中心部とは思えない豊かな自然に包まれています。4月には花会祭、6月は大祓式、7月は須賀神社天王祭、10月は菊水祭など、年間を通して賑わいます。
せっかく餃子の街に来たら、フライパンから箸でつまみあげる、ユニークな「餃子おみくじ」を引いてみるのも楽しいですね。
- 住所
- 宇都宮市馬場通り1-1-1
- 電話番号
- 028-622-5271
- 営業時間
- 6:00~18:00(社務所9:00~16:00)
- 定休日
- 無休
宇都宮城址公園
戊辰戦争で焼失した宇都宮城本丸の一部を復元した公園。平成19年に完成して以来、市民の憩いの場となっています。芝生に囲まれた広大な園内には、歴史資料や発掘調査によって復元された清明台と富士見櫓や土塁、堀のほか、歴史資料館「清明館」があります。
宇都宮市内には、縄文時代からの歴史を学ぶ上で重要な遺跡・史跡が数多く存在しています。「清明館」ではそれらの出土品や、宇都宮城関連の絵図、文献なども展示。入場無料なので、歴史に興味のある人はぜひ立ち寄ってみましょう。
また、公園内には4種類の桜(河津桜、大山桜、ソメイヨシノ、しだれ桜)があり、それぞれ花が咲く時期が異なり、長い期間訪れる人を楽しませてくれます。
- 住所
- 宇都宮市本丸町1-15
- 電話番号
- 028-632-2529
- 営業時間
- 24時間(歴史建築物は9:00~19:00)
- 定休日
- 無休(年末年始除く)
琴平神社
江戸中期曲師町に虚無寺松巌寺が建てられ、その境内に金比羅大権現と稲荷大神を祭神として祀ったのが起源とされます。松巌寺は廃寺となって、今は存在しませんが、神社だけが街の建物の間に窮屈そうなただずまいを残しています。
- 住所
- 宇都宮市曲師町4-12
おしどり塚
鎌倉時代に、無住法師によって書かれた「沙石集」によって紹介された物語の旧跡地です。塚の遺跡は、おしどり塚児童公園の東北隅にあり、付近は花木、石等によって整備されているほか、塚の由来を記した碑も建てられています。内容は、求喰川(あさりがわ)を舞台とした一つがいのおしどりと漁師のいきさつと建碑にいたる経過を記しています。
昔々のことであったと。宇都宮のあさり川は、川べりに葦が生い茂って、水鳥たちの餌場だったと。この辺りを狩場にしていた猟師がおったと。ある日、一日中山を歩いても獲物がなかったと。帰りにあさり川を通ると、おしどりがいたので、弓を引き、射とめた雄のおしどりの首を切り落として持ち帰ったと。 次の日も、猟師があさり川を通ると、同じ所に雌のおしどりがうずくまっていたと。すぐに撃ち取り拾い上げると、雌のおしどりは雄の首を抱えていたんだと。猟師はおしどりを持ったまま立ちすくんでしまったと。
「おら、何て罪深いことをしてしまったんだべ。」猟師は、頭をまるめて坊さんになったと。川岸に塚を造って、石塔を建てて、おしどりの菩堤を弔ったと。今でも大町の民家の裏に、おしどり塚はあんだと。
- 住所
- 宇都宮市一番町1
およりの鐘(宝蔵寺)
およりの鐘は宇都宮氏の滅亡によって廃寺となった東勝寺(日野町通り北側一帯の地)にあったものです。江戸時代には夕暮れになると鳴らされたので、「およりの鐘」として親しまれました。「おより(御寝り)」とは「お休みになる」の意味です。鋳造年代は不明ですが、鐘の中帯に宇都宮氏の家紋「三つ巴」が20個ほどついているので、宇都宮氏の寄進によるものと思われます。この鐘は、その後、様々ないきさつをたどって、昭和19(1944)年、宝蔵寺へ移され、今に至っています。
- 住所
- 宇都宮市大通り4-2-12
- 電話番号
- 028-622-4130
鉄塔婆(清巌寺)
鎌倉時代終わりころの正和元(1312)年、宇都宮8代城主貞綱が、亡き母の13回忌の供養のために鋳造し奉納したものです。表面は梵字や阿弥陀三尊、文字が浮き彫りになっています。鉄製の塔婆は全国的に類例がなく、大変貴重なものです。
江戸時代終わりころの嘉永2(1849)年、暴風雨によって3つに折れたので、明治44(1911)年に修復されました。その後、腐食が進んだので、平成8(1996)年に保存処理が施されました。
- 住所
- 宇都宮市大通り5-3-14
- 電話番号
- 028-627-7676
旧篠原家住宅
篠原家は、江戸時代後期~明治にかけて醤油醸造業や肥料の販売を営んでいた豪商。明治28年(1895)に建てられた住宅の主屋と新蔵が現存しており、国の重要文化財・宇都宮市の有形文化財に指定されています。
風格ある黒漆喰や宇都宮特産の大谷石を用いた外壁、1、2階合わせて100坪という規模の大きさは、当時の堂々たる風格を伝えます。商家らしい雰囲気を伝える店先の格子、帳場の大黒柱、屋根の鬼瓦、箱階段など、見どころがいっぱい。希望すれば保存会会員が館内を案内してくれます。
- 住所
- 宇都宮市今泉1-4-33
- 電話番号
- 028-624-2200
- 営業時間
- 9:00~17:00 (入館は16:30まで)
- 定休日
- 月曜日(祝日の場合は翌日)
興禅寺
興禅寺は、宇都宮氏8代目当主である宇都宮貞綱が、かつて黒羽雲巌寺で第五世住職をしていた真空妙応禅師のために、1314(正和3)年、地蔵堂があったこの地に寺院を建立して興禅寺としたのが始まりです。
室町時代には宇都宮氏の興隆とともに隆盛を誇りましたが、1549(天文18)年、喜連川五月女坂の戦いにおいて第20代当主宇都宮尚綱が敗死すると、これに乗じた壬生勢が宇都宮城下に乱入して占拠、この折の戦火で焼失しました。第21代当主宇都宮広綱によって復興するものの、第22代当主宇都宮国綱が豊臣秀吉によって領地を剥奪されたのに伴い、当寺も一時廃寺となりました。
江戸時代に入って奥平家昌が宇都宮城主となるとその勧請を受けて復興され、家昌・忠昌の奥平家父子2代が菩提寺としています。なお、江戸時代の仇討ちの一つで知られる浄瑠璃坂の仇討は、忠昌の子である昌能の在藩中における当寺での刃傷事件(宇都宮興禅寺刃傷事件)が発端となっています。
- 住所
- 宇都宮市今泉3丁目5-13
- 電話番号
- 286210507
今泉八坂神社
春祭、秋祭で太々神楽奉納されるほか、天王祭では神輿が出御するだけでなく多くの屋台が立ち並び賑わいます。1063(康平6)年、当時の宇都宮城城主・藤原宗円が本丸を築城の際、鬼門の鎮護として奥州街道の出入口に当たる今泉の地に神明宮を建立したのが始まりです。
- 住所
- 宇都宮市今泉4丁目16-28
- 電話番号
- 028-621-0248
首切り地蔵
宇都宮藩の刑場跡。元和元(1615)年2代将軍秀忠の日光社参に先立ち、鉄砲組根来同心百人衆が警護の為に派遣されました。宇都宮藩主本多正純が一行に城普請を命じましたが、お役違いと拒否されたため根来衆全員がここで斬首となり、後の「宇都宮釣天井事件」の遠因になったといわれています。
※江戸日本橋より28里目「竹林の一里塚」の位置は不明。
- 住所
- 宇都宮市岩曽町1354-23
馬頭観音
1940(昭和15)年建立のようです。
- 住所
- 宇都宮市海道町71-2
稚児坂
1190(建久元)年源頼朝の命により伊沢家景が奥羽総奉行として赴任する途中、同行する稚児が病によりこの坂で亡くなったと伝わります。
※江戸日本橋より29里目「海道新田の一里塚」の位置は不明。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
白澤宿標識
「白澤宿 ここは江戸より三十里」と記された標識が立っています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
勝善神
神道系の馬頭観音です。
- 住所
- 宇都宮市白沢町696
白澤地蔵堂
1191(建久2)年、伊沢家景に関わる伝説があり、稚児ヶ坂で亡くなった家景の子菊丸をここに葬ったといわれています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
やげん坂
漢方の薬種をくだく舟形の器具に坂の形が似ていることから、「やげん坂」と呼ばれるようになったと伝わります。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
大エノキと江戸時代の公衆便所跡
白澤地区のシンボルである大エノキがあり、その近くには江戸時代に通行人が使用したとされる公衆便所の跡が残っています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町339
住吉屋跡
1895(明治28)年の建築とされる蔵が残っています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
白髭神社
慶長年間に近江国の白髭神社の分霊を勧進して創始したといわれます。
- 住所
- 宇都宮市白沢町1868-2
宇加地本陣跡
秋田藩、盛岡藩の関札が残っています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
明星院
1478(文明10)年、法師長弘の開基といわれ、慶長年間に白澤宿の現在地に移り、1849(嘉永2)年京都の愛染寺から稲荷大明神を勧進し、寺の守護神として祀っています。
- 住所
- 宇都宮市白沢1886
薬師堂
江戸時代に白澤宿本陣を司った宇加地家の持仏堂として建てられました。
- 住所
- 宇都宮市白沢1900
井上清吉商店
1686(明治元)年創業。下野の地酒「澤姫」の蔵元です。
- 住所
- 宇都宮市白沢町1901-1
經力稲荷大明神
白澤宿の北枡形に祀られています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
白澤宿標識
白澤宿の北口にあたります。
- 住所
- 宇都宮市白沢町
白澤の一里塚跡・白沢河原バス停
江戸日本橋より三十里目、「白澤一里塚」の碑があります。本来は鬼怒川渡船場の河原にあったが洪水により流出してしまったといわれています。
- 住所
- 宇都宮市白沢町